
【地域おこし協力隊・木下徹哉さんインタビュー】津和野との関係を育てる仕事

気仙沼から津和野に来られた木下さん!何をされているのかな!?
木下徹哉さんが初めて津和野に来たのは、約8年前。大学を休学し、津和野高校の放課後の学びを支える「HAN-KOH」のスタッフとして、1年間を過ごしました。
その後、宮城県気仙沼市で6年間暮らし、映像制作や地域の仕事に関わったのち、再び津和野へ。
現在はTMC(一般社団法人 津和野まちとぶんか創造センター)に関わりながら、地域おこし協力隊として「関係人口の創出・拡大」をテーマに活動しています。
一度離れた町に、もう一度戻ってきた木下さんは、今の津和野をどう見ているのか。
関係人口、学び、映像、そして町とのつながりについて、お話を聞きました。
8年前の津和野との出会い
大学休学とHAN-KOHでの活動
お時間をいただきましてありがとうございます!
改めまして、木下さんの自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。



木下と申します。今31歳です。
出身は愛知県の名古屋市です。
好きなものは、仕事で映像をやっていたりするので、やっぱり映像を撮るのは好きですし、映画を観たり、表現とかアートとかをやったり感じたりするのは、基本的に全般好きだなという感じです。
僕は木下さんに一瞬会っていた、ということをこの前聞いておりまして笑



本当に一瞬でした笑
津和野に来たきっかけ、いつ来て、どんな経緯で今ここにいるのか、というところを聞けたらいいなと思っています。



長い話になるかもしれないですけど、実は約8年前、僕が大学3年生のときに、もともと法学部の大学に進学していて、公務員になりたいという思いがあったんです。
でもそれを一旦やめて、大学を休学することに決めて。その休学期間をどうしよう、というところで、その時の知り合いの方に「津和野というところがあるよ」と紹介してもらいました。
その時、津和野高校の「HAN-KOH」の運営スタッフとして、地域おこし協力隊を1年だけやっていました。玉木さんが津和野に来た時と同じタイミング、同じ年に僕も津和野に来ました。


ここで出てきたHAN-KOHは、津和野高校生の放課後の学びや探究活動を支える拠点で、「みらい共創センターHAN-KOH」として、現在も津和野町の学びの場の一つになっているところですね。
そして玉木さんというのは、TMC代表理事の玉木さんのことですね。



そうですね!
8年前ということは、HAN-KOHの取り組みも立ち上がって間もないくらいだったのでしょうか?



そうですね。創業期みたいな感じでしたね。
1年間という期間ではありましたが、津和野で本当に貴重な体験をさせてもらいました。
気仙沼での6年間、そして再び津和野へ
離れたからこそ見えたこと



その後、宮城の気仙沼市に移住しまして、6年くらい生活しました。
一段落したなというところで、地元の愛知に戻って、1年くらいゆっくりするかと思ってのんびりしていたんです。
その間、TMCの玉木さんの情報だったり、津和野町を「学び」の切り口で盛り上げることを掲げている一般財団法人つわの学びみらいのFacebookの情報は見ていて、「TMCという場所ができたんだ」とか「新しい動きがあるんだ」と、なんとなくですが、津和野の最近の動きを追ってはいました。





僕は宮城の気仙沼市という、岩手のすぐ近くの場所に住んでいたんですけど、仙台から車で2時間半くらいかかる、絶妙な位置にある場所なんです。
一度行ったことがあります!



そうなんですね。そんな場所で暮らしていたからこそ、津和野の行きづらさみたいなところは実感していて、「今みたいに時間があるときじゃないと津和野には絶対行かない」と思って、去年の4月に玉木さんに「久しぶりに会いたいです。話をさせてください」と連絡して、観光のような形で津和野を再び訪れました。
僕の想定だと、そんなに町は変わっていないだろうと思っていたんです。四方八方を山に囲まれていて、交通の便がすごくいいわけでもない。人の往来がすごくあるわけでもなさそう。そんな想像があったので、移住者もそんなにいないだろうし、新しい人や場所もそんなにないだろう、と頭の隅で思っていました。
でも来てみたら、ゲストハウスができていたり、喫茶店やカフェができていたりして。
確かに8年前は少なかったですね!そもそも今Tシャツを着ている厨ファミリア(クリヤファミリア)が、すごく町を盛り上げていたような雰囲気はありましたけど、町中はまだ少なかった印象があります。



そうなんです。新しい雑貨屋さんやホテル、新しいお店が建っていたり、新しい人が来ていたり。それこそ津和野高校を卒業した子が戻ってきて、今津和野で働いているよ、という話もあって。
そういう町の変化が想像以上にあったことに、めちゃくちゃ面白さを感じました。
ちょうど次に住む場所と仕事を探していた時期でもあったので、8月くらいに「TMCでお世話になれないでしょうか」と相談して、9月から着任しました。


去年の9月からだったんですね!



はい。8年前は本当に未熟な自分だったんですけど、あの時に来ていたからこそ、今ちょっとエモい感じで再び舞い戻ってきた、という感じがあります笑
そのようなお話は聞きますね!



まさしく郷土愛ですよね。
ですので、そういう意味でも、流鏑馬や鷺舞、津和野太鼓など、津和野町が持ってる歴史や文化、そしてそこに関わる人たちというものがUターンに繋がるのではないかとも考えています。
若干の地元のような気持ちも入っているのでしょうか?



入っていますね!
Uターンではないけれど、関係のある場所に戻ってきたような感覚ですね!



そうですね。ずっと関係人口的なところがありました。
僕は10年前から津和野にいるんですけど、ずっといるからこそ、すごく変化したという感覚を感じづらいんです。流れの中にいるからかもしれませんが・・・。



そうですよね。それこそ僕は宮城の気仙沼市を6年で離れたんですけど、これ以上いると、離れづらくなりそうだなとは感じていましたね。
いろんな地域の人や活動している人に出会って、もっといろんな面白い場所に行きたいという思いがある中で、気仙沼から離れづらくなりそうだなと思って。
だからこそ、10年という期間、津和野に移住して生活をし続けて、新しい活動もし続けられている人たちが本当にすごいなと思います。玉木さん、ケンケンさんもそうですけど。
なんか、いちゃったという感じですね!笑



本当にすごいなと思います!笑
気仙沼での仕事
地域企業やNPOでの勤務と映像制作
ちなみに少し深掘りしてもいいでしょうか。気仙沼は僕も震災の後、2、3年経ってから一度行ったんですけど、活発な人たちが多いエリアだったなと思っています。
気仙沼では何をやっていたんですか?



気仙沼では、最初は地元の企業さんに勤めたり、NPOのスタッフをやったりしていました。それが前半の3年です。
後半は、地域の企業さんのPR映像や、新卒の方向けのPR映像を作ったり、町からの依頼で移住者を募集するための映像を作ったりしていました。


映像特化なんですね!



もう一人プロデューサーの方がいて、その人が映像の仕事やプロデュース的なところをやってくれて、僕は撮影して編集するというところを2人1組で3年やっていました。
ありがとうございます。そういう感じだったんですね!
津和野でのミッション
関係人口の創出・拡大
気仙沼での経験を経て津和野に来られてということですが、津和野が好きだから帰ってきたという印象を受けました。お仕事としては、どのような募集枠があったのでしょうか?



そうですね。TMCがいわみ暮らし留学での地域おこし協力隊の委託業務としてやりますよという話があったのですが、さまざまな事情でいわみ暮らし留学の利用を見直すこととなり、津和野町の地域おこし協力隊の枠として今に至るというところですね。
ここで出てきたいわみ暮らし留学は、島根県西部・石見地域で、若者が地域に暮らしながら働き、自分の生き方や地域との関わり方を考えていくプログラムのことですね!
関係人口創出みたいなところがミッションにつながっている感じでしょうか。



ミッションでいうと、大きなテーマとして「関係人口の創出・拡大」というところが業務としてあります。
関係人口の人たちに向けて、まず津和野の情報が外に出ていないと、知る入り口がないですよね。僕が映像をやっていたというところもあるので、その強みを活かす動きをしています。
すごく大事ですね!



津和野の入り口をいろんなところに作る。それぞれ興味や関心はいろいろあると思うので、そういう取っかかりを作るというところで、情報発信の入り口を作る業務をやっています。
あとは、関係人口にもいろいろあると思うんですけど、TMC的な関係人口は、やっぱり津和野高校を卒業した卒業生たちが主になってくるよね、というところがあります。
卒業生たちとの関係の構築や維持、活性化。卒業生もそうですし、今の津和野高校に通学している高校生たちも、数年後には津和野の外に進学したりして、関係人口の枠になりますよねというところで、今の子たちとも関係の構築、維持、活性化をしていこうというところがミッションとしてあります。


NODEという新しい動き
高校生との接点をつくり直す
TMCができる前から、交差点の角に玉木さんが事務所を構えておられましたよね。確かお名前がTHA?



THAです!
そこで高校生に囲まれている玉木さんを、多分地域の人たちは見ていたと思うんです。「あれは何をやっているんだろうね」と思いながら。でも、すごく活発に活動されているな、というのは見えていて。
さっきTMC的な関係人口という話がありましたけれども、すごくいいなと思いました!文脈がある関係人口を、ちゃんとホールドしていこうということなんだろうなと感じます。



そうですね。THAのところで、玉木さんが高校魅力化コーディネーターもやられていた時だったと思うんですけど、今はTMCの方に集中されているというところで、高校生との接点が少なくなってきたんです。
そこで接点を作ろうということで、去年の11月に「玉木塾」というものが立ち上がりました。


そうなんですね!玉木塾では何をやるのでしょうか。



その時は、津和野町の総合振興計画が今年作られるという話が出ていたので、その総合振興計画を読み解いて、自分たちに何ができるか、プロジェクトを作ってみよう、というところでサポートを行っていました。実際に動いているプロジェクトもいくつかあります。
面白そうです!それも今度聞いてみたいです。



ぜひお願いします!



それで玉木塾として活動していたんですけど、「玉木塾」という言葉にちょっと引っかかりながら活動してきたところがあって。今年の1月くらいに、玉木塾の名前を変更しようということで、高校生のメンバーを集めて「どういう名前がいいかな」とみんなで考えました。
いろいろ案が出てきた中で、高校生の一人が「NODE」という言葉を出してくれました。
結束点のような意味でしょうか?



そうです。結束点だったり、交差点だったり、そういった意味が含まれるNODEという単語です。AIとかでいろいろ調べて出てきたらしくて!
すごいですね!高校生、しっかり使っていますね。



それで玉木塾が改めて「NODE」という形になって、今は高校生のことをNODEのメンバー、NODEの活動というふうに言うようになっています。
なるほど。NODEというプロジェクトも動き始めているということですね!少し気になったのは、僕は事前に聞いていたからなのですが、NODEはまだ公開できる状態ではないのでしょうか?



そうですね。
動いてはいるのですが、もう少し定義をしっかりしていきたいですね。
しっかり形になったら、また取材させてください!


TMC的な関係人口
卒業生、大学生、社会人とのつながり
協力隊の活動の中でいうと、関係人口をTMC的に解釈して、高校生であったり、高校を卒業した卒業生であったり、TMCに関係する様々な人たちをつなげていって、関係が継続するようにしていく取り組みを、NODEとしてやっていくということでしょうか。



NODEか、TMCとしてのプロジェクトか、というところはあります。
TMCでは毎年、12月に「津和野会議」というものを行っているんですけど、津和野に繋がりがなかった東京などの大学の先生方が、津和野会議をきっかけに津和野にすごく思いを持ってくださっています。
そういう方と卒業生をつなげるというところもありますし、プロジェクトを通してつなげるというところもあります。



また、20歳くらいの卒業生がイメージにあるかと思うんですけど、津和野高校を卒業して、社会経験を豊富に積まれた40代、50代の津和野高校卒業生の方々もいます。
話を聞くと、やっぱり津和野に対して何か貢献したいという思いはあるけれど、どうしていいかわからない、そもそも津和野が今どうなっているかもわからないから、何ができるかわからない、という声があります。
そういう人たちも巻き込んで、津和野に来なくても何か一緒にプロジェクトとしてできることを探っていこう、というところを今進めています。
関係人口の成果をどう測るか
KPIの難しさとプロジェクト化
もう少し突っ込んで聞いてもいいでしょうか。すごく難しいと思うんですけど、数値的な目標はあるのでしょうか。
関係人口という定義もとても難しいですし、とはいえ地域おこし協力隊のミッションとしてやっておられるので、3年間でどういう成果や評価になってくるのか、気になる人は多いんじゃないかなと思っています。



非常に難しいです。この間、行政の方に「今年度はこういう活動をしました」という年度末報告書を提出させていただいたんですけど、その中でKPIや数字のようなものを求められるところもありました。
そもそも数字的な部分について、行政側はどのようなスタンスなのでしょうか?関係人口の定義や数値の目標はTMC側で設定した上で、それに対してどうだったかを教えてください、という感じですか?



そうですね。行政側も数値化が難しいよね、というところは多分あるのだと思います。関係人口というものはふわっとしているので。
報告書の時は、卒業生だったり、先ほど言った40代、50代の津和野高校卒業生の方々と何か案件を一つやろう、プロジェクトを一つやろう、ということを今年の目標にしました。
めちゃめちゃいいですね!それはすごくわかりやすいかもしれないですね。



一旦一つできれば、こういうことをやってきましたと言えるようになるので。1年後、2年後の任期の中で、僕の活動がもう少し幅広くなっていくといいな、というところが一応目標としてあります。
僕だけの解釈なので、皆さんや木下さんとずれているかもしれないんですけど、地域おこし協力隊の活動って、正直、儲からないところをやっている気がしています。
儲からないし、行政も手をつけづらいような抽象的なところが多い。ただ、それが仕組みとして町にインストールされた時に、とても豊かな状態を目指せるだろうというミッションなのかなと思っていて。
TMC的解釈の関係人口がちゃんと駆動するようになったら、TMC的解釈ではない、例えば僕が住んでいる地区ならではの解釈による関係人口の駆動にもつながる。同じ町内の先進事例みたいになって、それが伝播していったら、とてもいい形になると思っています。
だから企業的な、商売的な目標数値とはちょっと違うんだろうなというところは、ツワノバコを通して伝えておいた方がいいかなと思っています。そういう意味では、すごく価値があると聞きながら思いました!



地域おこしの枠組みは、どうしても良い悪いの判断が難しいところもありますよね。
外貨を稼ぎ、津和野に還元する
沖縄でのプロジェクト事例



最近行ったものだと、TMCのプロジェクトとして、この間沖縄で仕事をしてきました。
その時に、津和野高校を卒業して、沖縄に進学した子がいて。
僕、関わったことがあります!蚤の市でめちゃめちゃ手伝ってくれて、とってもありがたかったです!



そうだったんですね!TMCのプロジェクトとして、沖縄で2日間プロジェクトを行ってきたんですけど、その卒業生が2日間がっつり手伝ってくれました。
やっぱり津和野の内側だけで稼いでいっても苦しいところがあるので、どうやって外貨を稼いでいくか。外貨を稼いで津和野に還元することが、持続していくためや発展していくために大切だよね、という話です。
そういうことですか!関係人口も、外貨を稼ぎながらというのがあり得るんですね。



そうですね。津和野でプロジェクトをやるんじゃなくて、津和野の外でプロジェクトがあって、その近くにいる、津和野高校を卒業した卒業生たちにプロジェクトに絡んでもらう。
それによって関係人口が活発になりますし、津和野の発展にもつながっていくといいな、というところが今のTMCの目指しているところです。



この構想というか考えが、今年の2月にできあがったばかりなので、まだ動き始めたくらいのところです。こうしたいという思いはあるんですけど、じゃあどうやっていくか、どこまでをそれと言うか、という線引きがまだ曖昧です。
僕もこうやって、いい感じに伝えきれないところがあります。
少しずつ小出しにインタビューさせてください!



ありがとうございます!
津和野で感じていること
大量の学びと、まだ言葉にならない感覚
最後なんですけれども、帰ってきた津和野に感じていることや、その中で自分がこれからやってみたいことがあればぜひお聞かせください。



事前に「津和野で感じたこと」という質問をもらった時に、一番ここで悩みました。なんだろう、と思って。
今、津和野に移住して1年経たないくらいなんですけど、本当に目の前のことをがむしゃらに走ってきたので、落ち着いて整理するタイミングがあまりなくて。
でも明確にあるのは、やっぱり「学び」というキーワードです。
先ほど言った津和野会議で、これまであまり関わってこなかった大学の先生方の研究内容の話を聞いたり、その後の懇親会で会話する話の内容だったり、津和野で見聞きするいろんな人たちの思いや働き方だったり。
それこそ、もともと宮城の気仙沼市にいたというところで、漁業や海に囲まれて生活してきたんですけど、そこからめちゃくちゃ山のところに移ってきた。
そういった刺激と学びが大量にあるんです。
そうなんですね!



それが、まだ自分の血肉になっていないなという感じがあります。言葉としてはあるけれど、まだ自分の言葉としてはしきれていないな、というところがあるんです。



ですが、一つ明確に、自分に感動したことがありまして!
教えてください!



なんとなく、ずっと「僕は自然が好きです」とか「自然の風景が好きです」と言ってきたんです。
ホームセンターで花などを買ったりするじゃないですか。それを買って、外にプランターとして置いて、たまに水をあげる、みたいな形で育てていたんですけど、ちょっと忙しくて何も手をつけられなかった時に枯れてしまって。
その時に、自分の中ですごくモヤモヤするものがありました。
自分は自然が好きとは言っていたけど、何も知らない。まだ素質がない気がする、みたいな。
自然が好きに対しての素質、ということでしょうか?



自然に対して歩み寄るとか、何かをするということに対しての知識や経験がなさすぎる。これは一旦、植物を育てるのはよくないなと思っていたんです。
ただ、枯れてしまった花の前に、11月にラズベリーを植えていました。
ラズベリーですか!



ラズベリーの苗が売っていたんです。ラズベリーが食べられたら最高じゃん、と思って、安易な考えで一旦植えていて。そこはずっと水をあげ続けていました。
この前、実がなったんですよ。
今の時期ならではですね!



ちょうど赤くなっていて。この前、まだ色がつかないなと思っていたタイミングで、先ほど言った沖縄に4日間くらい出張に行ってきたんです。
4日間くらいあったら実もなっているかな、赤くなっているかなと思って帰ってきたら、赤くなっていて、「お、できてる」と思って見たら、ナメクジさんが実についていて、全部食べられていたんですよ笑
でもそれを見た時に、僕はめっちゃ嬉しくて。
「あ、僕が作ったものが、自然の生き物さんに食べてもらえている」と思ったんです。この未熟な僕が、なんとなく適当に作ったものが、みたいな。
それがめちゃくちゃ嬉しくて、感動したんです。そこに素直に感動できている自分も、津和野で生活して見聞きしてきたもの、学んだものが、少しだけでも自分の内側から生まれる言葉になってきているなと感じました。
最近、感動したという話です。
素敵な感動ですね!
僕も津和野に来て、植物を何個か植えて、何度も枯らしてきました。でも収穫すると、やっと始まった、という気持ちになりますよね。
自然とは何か
人の手が入った風景を学び直す



なので、TMCの業務とは少しずれるんですけど、個人的な興味として、田園風景も人の手によってできているものだったり、お家も木でできているものだったり、山も植林されていたりしますよね。
やっぱり人の手が介在している。僕の中でこれまでの自然というものは、人の手が入っていない、そのままのものが自然だとなんとなく思っていたんですけど、どうやら違うなと思っています。
自然とか風景とか、自分にとって何だろう、ということが、今頭の隅にふわふわとあります。
そこに関する、ダイレクトな答えのような本はTMCにあるので、それを読んで学んでいきたいです。
そういったところも結局、高校生や卒業生との関わりにもにじみ出てくるところはあると思うので、津和野に住む人として成長していきたいなと思っています。
素晴らしいと思います!ぜひ、僕もシェアガーデンなどをやっているので、よかったらご案内します笑



やりたいです!
そんなところで、本日は木下さんのインタビューでした。どうもありがとうございました!



ありがとうございました!


今回のインタビューを通して印象的だったのは、木下さんが何度も「学び」という言葉を口にしていたことでした。
8年前、大学を休学して津和野に来たこと。
その後、気仙沼で暮らし、映像の仕事をしながら経験を積んだこと。
そして再び津和野に戻ってきたこと。
その流れを聞いていると、木下さんにとって津和野は「移住先」というよりも、人生の節目ごとに立ち返る場所になっているように感じました。
また、関係人口という言葉はよく耳にしますが、今回のお話を聞いていて思ったのは、関係人口とは「また帰ってきたくなる理由がある人」なのかもしれない、ということです。
津和野高校の卒業生とのつながり。町外で活躍する人とのプロジェクト。高校生が考えた「NODE」という名前。
どれも、人と人との接点を増やす取り組みですが、その先にあるのは「関係を維持すること」ではなく、「関係が育っていくこと」のように見えました。
そして個人的に一番印象に残ったのは、最後のラズベリーの話です。
実を収穫できた喜びではなく、「自分が育てたものを、ナメクジが食べていたことが嬉しかった」という感覚。
津和野で暮らしながら見聞きしてきたことが、少しずつ自分の感覚になってきた。そんな木下さんの言葉に、津和野との関係を育てるとはどういうことなのか、そのヒントが隠れているように思いました。
これから3年間の活動の中で、木下さんがどんな人たちをつなぎ、どんなプロジェクトが生まれていくのか。そして数年後、このインタビューを読み返したときに、どんな変化が見えてくるのか。ツワノバコとしても、引き続き追いかけていきたいと思います!
<参考:Youtube ツワノバコチャンネル>
感想をぽちっと!
- いいね 👍0
- 初めて知った 😄0
- う〜ん 😒0
- それってどうなんだろう? 🤨0
















































コメント
※いただいたコメントは運営で確認後に公開します。